100
100年に1回の変革期を記念して3つの切れ味をもつ包丁を造り上げた。
桑原鍛冶工房の始まりは大正12年。初代が造り上げた包丁は、その切れ味の良さで薩摩藩の刀匠にも認められ、薩摩藩の屋号を頂くほど。伝統的な手法を守りつつオリジナルの技法を取り入れながら、その匠の技は100年たった今でも3代目、4代目と受け継がれています。受け継がれているのは技術だけでなく、人の想いに寄り添い、真心を込めて造るという信念。
時が流れ、時代が変わる中でも、桑原鍛冶工房は技術とその信念を誇りにこれからも伝統を守り受け継いでいきます。
蚊焼鍛冶は江戸時代に始まりました。
当時の刃匠、吉田左馬之助直種の弟子が、刃物の焼入に適した蚊焼の水と焼刃土を利用して、
良質の刃物を作り上げました。以来、長崎開港とともに南蛮刃の技法を取り入れ、「切れ味」に「粘り」を加えた、他に類を見ない良質の刃物を作り出したのです。
桑原鍛冶工房の歴史
初代は漁師さん向けに網切り包丁や料理包丁を造っていました。二代目は漁師さん向けに出すだけでなく、長崎くんちや物産展、スーパーなどで出店を始めました。三代目は1993年から長崎の百貨店や熊本県、大分県の百貨店やスーパーなどで「包丁造りのDVD」を流しながら販売を始めました。また、ホームページを作成し、蚊焼包丁を日本、世界に向け発信を始めました。
2000年からは全国各地(福岡県、山口県、広島県、愛知県、大阪府、東京都、北海道など)の百貨店でも販売を開始しました。
また、外国人の方が日本の包丁に興味を持っていると知り、外国人の方に合う包丁を造り始めました。
2017年には、弊社の包丁が海外から認められ、アメリカ、スイス、スウェーデン、ドバイなどにも輸出するようになりました。
「長崎包丁軍艦島」のネーミングで長崎らしさを出しています。
(前)田上長崎市長は「世界で長崎の蚊焼包丁が使われていると考えるとワクワクする。海外で評価を得れば国内での注目も高まる。」と話されました。
小さい工房だからこそ他が真似できない事に挑戦し、常に自ら行動する姿勢を続けています。
2018年に三代目は病気なりましたが、2年、3年、4年と月日を重ねるごとに良くなっていきました。蚊焼包丁の伝統を絶やさないために、妻や週に1~2回来る息子と一緒に作業をしています。感謝の気持ちを持ちながら家族全員で頑張っています。
SNSやホームページにも挑戦し、作業様子やイベントの紹介、蚊焼包丁の紹介・販売情報などを発信しています。
また、全国へ包丁を卸したり、昨年から包丁作り体験を開始しており、早くも十数組の方に来ていただいており好評をいただいております。